前回のブログで「町作りが記録された石碑」の話題を書きました。
「町の歴史」と、これから
町内に残る石碑の事を調べている内に、平成13(2001)年に発行された「香住ヶ丘校区沿革史」という書籍の存在を知りました。130ページ超のボリュームで、現在データを「香住ヶ丘校区自治協議会」様が管理されウェブサイトの中で公開されています。そこからプリントアウトして、自宅に持ち帰り時折見ておりましたら家族が「それは(家に)あるよ」と、当時の書籍をどこからか持って来てくれました。
石碑の記述にも有った「県営住宅建設の町作り」、そして母体となった唐原地区の事を含めて校区の歴史(古代から!)が綴られています。私から見てもひと世代・ふた世代前の方々、町に移り住んだ頃の記憶や暮らしを作っていった思いを感じる事が出来ました。舗装も無く道はぬかるみ、下水道も、小学校建設もまだ見ぬ時代がありました。
その後平成の時代には、対岸に出来た人工島(アイランドシティ)が発展しました。令和5(2023)年現在、コロナ禍で閉園した遊園地「かしいかえん」も解体が進み、新たな大規模開発・大きな変化を待つ状態です。
「家族の歴史」と、これから
昭和30(1955)年に私の祖母と叔母そして私の父(当時中学生)はこの地での生活を始めました。父はこの書籍に記載の県営住宅の間取り図数種から、自身の住んだ小さな一つを憶えておりました。祖母と姉妹(とその家族)は、この地に集まるように直ぐ近くにそれぞれの住居を構え(とても心強く感じた事と思います)、親戚同志交流も多い時代だったと思います。
常に今・現在を生きる私たちですが、「家族の来た道、家族の現在、家族のこれからの事」へ思いを巡らせるのも良い事ではないでしょうか。
* 後で「香椎町誌【昭和28(1953)年、香椎町役場発行】」という古い本も出て来ました。町制10周年の記念誌だったと記載がありますが、福岡市に併合となる直前の時期と言えます。今回のブログで使った古い地図や町の写真は、この「香椎町誌」から引用しました。
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